全部イヤになったときに読んでいた本
つまらない。
刺激がない。
職場と家の往復を続ける毎日。
仕事のある日は、あっという間に1日が終わる。充実しているのではなく、惰性だからだ。
休日は、ぼんやりしているうちに終わる。
たまには楽しいこともあるけど、一過性のものだから自分をごまかしているようにしか感じられない。
ふと、全部がイヤになる。
自分には大した欲望もないから、いっそ全部放ってしまいたい。
面倒くさいことをグズグズ考えるのも、億劫だ。
わたしがそんなときに読んでいた本
「持たない幸福論」
全てに意味がないということは、全てに意味があるのと同じことだ。意味のない全ての中から自分の好きなものに意味を持たせればいい。世界の全てはそういう主観でしかない。 ―――p.69
「幸せ」とか「意味」を感じられる手がかりになりそうなものはなんでもいいから利用して、自分がうまく生きられる世界をつくりあげればいい。 ―――p.70
不満やむなしさに苛まれる原因は、職場環境、人間関係、コンプレックス、身内の不幸、社会に対する失望など、人によってさまざまある。といっても、原因を掘り起こしてもあまり意味がない。
ここで思い出したいのは、「自分にとって意味のあるもの」について。
それは「意味」と名付ける必要もなかったくらいに身近にあるかもしれない。
衣食住。恋愛。友達。仲間。1人の時間。かわいいもの。植物。風景。音楽。芸術。宗教。なんだって良い。
自分が「意味」を感じられるものがどんなに小さいものであっても、どんなに非現実的であっても、それを見つけられたら大丈夫。
そもそも意味なんてない
「~~するべき」「~~せねばならない」という考えで仕事を選ぶから、行き詰まる。現状に閉塞感があるなら、立ち止まってみる。仕事を休んだり辞めたりして、少し考える時間を設けるのも良い。
体を壊してまで、心を壊してまで働かなくて良い。
自分が窮屈に思うようなラベルに囚われすぎているのかもしれない。
そもそも意味なんてない。
ラベルなんてどうでもいい。
日が昇って、日が暮れて、星が輝いて、また朝になる。それだけのこと。
その日々をこねくりまわして意味付けして、難しくしているのは人間。
そもそも意味なんてない、意味付けは、自由。好きに解釈すればいい。
自分が心地良いと思ったもの、場所、人、「これをしているあいだは、心が落ち着く」。そういうものを思い出す。将来の自分にとって大切なものではなく、今の自分にとって。
すべてのものに意味はない。
だから、今、意味を感じられるものが、自分が生きている理由になる。
仕事がつらくて全部がイヤになったとき、phaさんのこの本に救われました。