アランの『幸福論』を読んでいる
アラン『幸福論』
なんだかんだ、何度も読み返している
『幸福論』は、フランス人哲学者アランがおよそ100年前、新聞に毎日書いていた哲学断章(プロポ)をまとめたもの。哲学断章といっても、専門用語はいっさい出てこない。今でいうならエッセイみたいな。だから仰々しい『幸福論』というタイトルに身構えて本を開くと、読みやすい文章におどろきます。
しかも、1章につき3,4ページという短さ。それが93章。どこでも気軽に読める。
幸福は意志、不幸は気分
ささいなことで感情が高ぶったり、小さな失敗をおおげさにとらえてその日はずっと憂鬱だったり。そういう不幸はすべて、気分のせいなんです。気分に流されっぱなしだと、そりゃあ落ち込むし楽しくない。アランは、シンプルかつ明快なことばでスパッと言い切ります。
悲しみはけっして高貴なものでもなければ、美しいものでも有益なものでもないと考えることから始めよう p196
ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである p314
礼儀、ほほえみ、上機嫌
プロポの中には、具体的な例を挙げているものもいくつか。
礼儀、ほほえみ、上機嫌など。
礼儀を大事にしている人。
だれに対してもほほえみを心がけている人。
細かいことは気にせずたいてい上機嫌な人。
そんな身近な人を思い出してみると、たしかに幸せそうだし、意志がある。良い意味で目立つし、魅力がある。
読みづらいと感じることもある
慣れるまでは、アランの文章は少し読みづらい。
専門用語はなく、日常的なことばを使っているけれど、文章の流れが把握しづらい部分がある。
そういうときは、なんとなく気になった章を何度かくりかえし読むと、見えてくる。見えてきたとき、「ほぉ!」と納得する。それが楽しい。
アランの言っているわかりやすい一文を抜き出して箇条書きにしたら、本1冊成り立つけれど、1章ずつ1章ずつ、まるごとわかるまで読む楽しみもこの本の醍醐味。
実はこの『幸福論』、学生時代に読んだときは、まったく入ってこなかった。
それだけ気分や情念にどっぷりと浸かっていて、幸福を意志してなかったんだろうな。
アランの言うことに深く納得できる人になれて良かった。